よってくるようだ。それを押しとどめよう
と、彼は酔いをめざした。なにもかも忘れて。
 また電話がかかってきた。
「地位の件の話はあったろう」
 例の声だった。地位という言葉の重さを知らないようなそっけない声。男はいっ
た。
「それどころではありません。ひどいことになりそうです。へたをしたら警察につ
かまり、裁判にかけられることにもなりかねません。あなたのせいだ。あの金、あ
の女、とんでもないことになりそうです」
「願いどころではないというわけか」
「そうですよ。なんとかしてください。へんなことに巻きこまれたくない。お願い
です」
「よし、わかった。金も女も知らないと言え。問題のないよう処理してやるぞ」
「よろしくたのみますよ」
 電話は終わった。そして、例の声の電話はもはやかかってこなかった。それから
ずっと。
 雨はまた降りはじめた。暗い低い雲が空にひろがり、雨は降りつづけた。あの女
はもはや訪れてこなかった。男は芸能財団に電話をしてみた。その返事はたよりな
かった。そのようなことは知らないという。調査会社からの信用報告により、不適
とみとめられたのだろうか。男はそうも想像し、はじめから幻のような話だったの
かとも思ってみた。
 銀行からは請求書の連絡があった。口座には大金があるはずだと聞きかえしたが
、そんなものはないとの返事。出かけていって交渉しようにも、入金の立証のしよ
うがないのだ。すべては以前の状態に戻ってしまった。
 男は残り少ないグラスの酒をなめ、ソファーにねそべり、することもなく床をは
いまわるアリを眺める。このあいだ、アリにウイスキーをたらしてみたな。アリは
どう思っただろう。
 男はぼんやりと思うのだった。この数日の事件。自分がアリであり、だれかがウ
イスキーをたらしたようなものじゃないのだろうか。反応を調べたいという、気ま
ぐれなこころみ。いったい、それをしたのはなんなのだろう。しかし、とてつもな
い大きな存在としか想像できない。だれかに話してみようか。それはやめたほうが
いいだろう。アル中のせいにされるにきまっているのだ。
 そして、また羨望と嫌悪の念で考える。あんな電話が、いまごろはどこかの家に
かかっているのではないかと。